目的と手段を切り離す
こんばんは。
旭川で整体と料理が学べるサロンのおうちサロンあさひの藤島佑人です。
先日昨年一緒に学びを深めていた仲間と久しぶりにオンラインで勉強をした。
週一回開催しているが、参加したのは2回目くらい。
子供を寝かしつけて、Zoomに入室すると同時に師匠も参戦。
どんなタイミングじゃいと思いながら、ワークをしたり話を聞いたりしていた。
あゆみさんの質問から目的と手段を切り離すということを考える宿題が出ました。
このタイミングで、あのメンバーに伝えるということは意味のあることなのだろう。
ここ数日この言葉が頭から離れず、色々考えながら生活して見ました。
今思うことをまとめていきます。
目的と手段とは
そもそも目的と手段とはどのような意味があるのだろうか。
まずはそこを調べるところから始まった。
目的とは、実現しようとして目指す事柄。行動の狙い、目当て。
倫理学では、理性ないし意志が、行為に先立って行為を規定し、方向づけるもの。
手段とは、あることを実現するためにとる方法。
という意味があるらしい。
目的と手段を切り離す。
どういうことなのか。
海賊王におれはなる
ワンピースで有名なセリフです。
主人公のルフィの目的は「海賊王になる」こと。
手段としてとっていたのは、仲間を増やす。
剣士、コック、音楽家を仲間にすると行って航海してました。
仲間を増やしたけど強敵に会い、仲間とバラバラになり兄を失ってしまう。
今のままでは目的である海賊王になれないと考えます。
そこで新たな手段として仲間をさらに増やしたり、2年間修行をしたり、覇気を身につけたり、新たな技を開発したりして海賊王を目指しています。
目的と手段を切り離す。
ルフィの目的は初めから「海賊王になる」ことです。
初めに考えていた仲間を増やすだけでは海賊王にはなれない。
仲間の力を借りることはもちろんだが、自分自身もさらに強くなっていかないといけない。
仲間を守るためであったり、より海賊王に近づくためだったりする。
その手段は常に変わっても良いということを教えてくれる。
仲間を増やし続けて海賊王になれるのであれば、はじめの頃に戦ったドンフリークが海賊王になっているだろう。
それに気づく能力、軌道修正できる柔軟性、ブレない目的が大切なんだろう。
目的と手段を切り離した瞬間に、違う目的や手段が出てくるのだろうけど、そこが「海賊王」という道にまっすぐ繋がっていれば良いのだろう。
今やるべきことをやるという代表例だと思う。
漫画から色々学べますね。
難解すぎてうまくまとまらないが、今の現在地として思ったことを書いていく。
今朝の出来事
目的と手段を切り離す。
その言葉を聞いてからどんなことが考えられるのだろうと思いながら生活していた。
今朝の出来事で息子(もうすぐ3歳)が服を決めない、トイレから出てこない、朝食を食べないと色々駄々をこねていた。
この時の目的としては、「息子を保育園まで送り、出勤する」。
いつものパターンだと、朝起きて服を着替えると言って服を着替えて、ご飯を食べて、靴下を決めて保育園へ連れて行くというような流れがある。
今日は何一つやりたくない日だったらしく、「この服は着ないとか」、「梅干しご飯は酸っぱいから食べたくない」、「コーンごはんが良い」、「トイレでおしっこをしたい」など一つ一つ対応しているといつも出発する時間が迫ってきます。
奥さんは早く色々すませたい人なので、「早くしなさい」、「食べたくないなら食べなくても良い」、「何も着ないで行きなさい」とか早くことをすませるような手段をとりました。
火に油をそそいだようで、子供は泣いたり、嫌だとか言いながら何も進まないまま時間のみが経過して行く。
私もいつものようなルーティンでいけば楽だなと思いましたが、そうもいかないのが現実です。
「どの服が着たいの?」、「何色着て行きたいの?」、「少し反応を待ってみる」という手段を色々変えて試しましたが、うまくいかず。
まだまだ引き出しが足りないと気づかせてくれる。
時間だけで物事を捉えていると私も怒るという手段をとったもしれませんが、自分の身支度の時間もあるのでせかせかしていたかもしれませんが・・・。
コーヒー淹れる時間なくても良いやとか、仕事場で歯を磨こうとか、いつも飲んでるコーヒーの時間を削ろうとか、少し車飛ばせば良いか、最悪遅刻しても良いかくらいの気持ちで、色々手段を変化させることができるようになったのだなと感じました。
目的は「保育園に息子を送り、仕事に行く」ですが、今やらなくても良いことはしなくても良いし、間に合えばいっかくらいの心のゆとり、余裕があると良いのかもしれないと気づけました。
そんな日に限っていつもより早く保育園に着くという謎の現象が起きる。
別にスピードを出して車を走らせていたわけではないのですが。
嫁の対応が悪いわけでもないし、良いわけでもない。
私の対応も良いか悪いかなんてわからない。
子供がどう反応するのかがやっぱり一番大切である。
どう対応できる手段をたくさん持ち合わせていること。
自分の心と身体にゆとりがあることが大切ですな。
父親3年目にもう少しでなるがまだまだ成長させてもらっています。
今日もぐっすり眠っている我が子は可愛いですわ。
施術において
施術においても目的と手段を切り離すを考えていこう。
施術するときの目的は「より元気なってほしい、もっと楽に動ける身体になってほしい」ですかね。
手段としては、色々あるなぁ。
昔の私の目的は「自分が良くしてやろう、何でも学んで痛みを無くしてやる」なんて思っていました。
その時の私は、よりよくできるものを探し、受講して使って、全然結果が出なくて、またより良いものを探しては受講するなんてのを繰り返していました。
そもそもの目的がずれています。
軸が完全に自分になっている。
相手の状態も見れないのに、自分のスキルだけを学んでもダメですよね。
目的が手段になっている。
何かを学べば人をよく出来る。
たくさんの手段を学ぶ。
〜療法、治療手技などなどたくさんありすぎるので割愛。
目的を完全に見失って手段をたくさん得ていたなと。
自分さえ良ければという時期が結構長くありました。
自分主体に物事を捉えている時期。
相手主体に考えられるようになったのなんてつい最近な気がします。
自分が全て良くしてやろうとギラついていた時期を脱したのは、一流の施術家の考え方に触れてからでしょう。
「治療など下の下」、「好い加減くらいがちょうど良い」、「60点で良い」なんて言葉を聞いてから、肩の荷が下りたというかそういう考え方もあるのかと。
そこから少しずつ相手を見るということができるようになり、何をやっても身体は変わるというマインドがついていったのかなと今思います。
目的と手段を切り離す。
まだまだ考えていかないといけない。
そんなすぐにはわからない。
でも考えていないとわかることもない。
あのタイミングでこういうことを考えなさいと言ってくれた師匠、あの場を作ってくれた仲間に感謝です。
まとめ
目的と手段を切り離す。
全然わかっていない。
ジャッジしない、上下関係を作らない、まっすぐ進む。
ゆとり、余裕、引き出し、自分軸、相手主体などがキーワードなのかなと思う。
そんなキーワードを考えながら生活して行きます。