陰主陽従
おはようございます。
旭川市で整体と料理が学べるサロンのおうちサロンあさひの藤島佑人です。
最近この陰主陽従という言葉を色々考えています。
世の中は陰と陽の関係性でできている。
あなたがいて私がいる。
私がいてあなたがいる。
相手あっての自分。
自分あっての相手。
どちらもあって良い。
きっと日常の習慣に引っ張られて、どちらしか見えなくなっているのも事実。
自分はあんなに貢献しているのに、何も評価されないとか。
そこには自分がいます。
自分基準でしか物事を考えられていません。
その中で自己解決するのであればそれで良いと思います。
そこで相手と比較するようになると厄介。
そんなことには意味がないと思います。
自分が頑張っているのはとても良いこと。
でも色々な方針と合致しないで、自己満足しているのであればそれは違います。
自分という部分しか見れていないとそうなるのかもしれません。
家庭での話し
家でもある程度役割が決まっていますよね。
皿洗ったり、子供を風呂に入れさせたり、料理作ったり、子供を寝かせたり。
それは全て目に見えること。
いわゆる陽になるのかな。
じゃあ陰ってなんだと考えると。
最近息子が朝ごはんを食べるときに、父ちゃんのところで食べたいと言います。
うん。可愛いと私は思うのですが。
自分で食べられるのだかる、自分で食べなさいと思う人もいるかもしれません。
でもそんなことを言う意図はなんなのでしょうか。
それを考えないで、自分で食べなさいと言うのもおかしな話し。
そこには自分の考えがあり、相手の考えもある。
そこを汲み取るセンサーはどれくらい持ち合わせているのか?
自分に余裕はどれくらいあるのか?
それによって対応も変わってくると思う。
可愛い息子が自分のところでご飯を食べたいと言ってきたら、どうぞどうぞと座らせる。
いつまでそんなこと言ってくれるかわからないしね。
なんでそんなことを言ってきたのか?
甘えたい。
自分で食べるのがめんどくさい。
ただ父ちゃんと食べたい。
眠い。
母ちゃんの顔が見えるがわで食べたい。
色々な意図があったでしょう。
目に見えるところは一部分。
そこにどれだけの意図が隠れているのか。
そこを汲み取る能力が必要だと考えさせられます。
特に子供はわけわからんです。
そんなセンサーをより磨けと言われているようです。
まだまだ成長させてくれます。
ありがたい。
施術においても
自分がいて相手がいる。
この関係性が成り立たなければ施術は成立しない。
自分が陽なのか?時には陰になるのか?
自分のことは自分ではわからない。
でも相手がいることで気づくこともたくさんある。
すごく痛いクライアントがきたとしよう。
痛いのをなんとかしてやりたいな。
そんな想いは誰しももつと思う。
自分がその人を治したいと言う気持ちが強すぎると、陽の治療になってしまうのだろう。
治してやろうなんて思って、取り掛かるとだいたい失敗する。
そこには自分しかなく、相手が見えていない。
痛みをどうにかして欲しいのは相手。
でも治そうとしているのは自分。
相手の痛みという部分にフォーカスできていなく、自分の自己満足で終わるのだろう。
そんなことは誰しもが通る道だと思う。
相手を理解する。
これもまた難しい。
十人十色という言葉があるくらいだから皆違う。
相手を理解するために、対話があると思う。
そこが上手いか下手かでかなり変わる。
自分はこう思ったは陽の部分なのだろう。
そこで相手に色々質問して、何かを擦り合わせていく。
そこで相手が認識できていない部分に光を当てていくことをするのが必要。
そこが陰が主になってアプローチしていくことになるのだと思う。
書いていてまだまだ自分の中の理解度が低いなと思うが、記録までに残しておく。
今の私の現在地はこんなもん。
まだまだです。
これからも色々考えていき、学んでいきます。
自分のため、そして家族のため、私に関わる人のため。
何事もバランス。
相手があって、自分があり、自分があり、相手がいる。
そんなバランスが大事。
どちらかに偏りがちな思考に気付けるか否かはあなた次第。
まとめ
まだ全然理解できていないなと感じました。
これから死ぬまで一生涯のテーマになるのだろう。
まだまだ考えていかないといけない。
終わりのない学びの旅は続きます。