挑戦するということ

6月28日に65kmウォークというイベントがあるために、児玉夫婦が家に前泊した。
旭川駅を出発して、富良野まで歩く。
途中3箇所の関門を突破して、富良野までいくそうだ。
第2関門では、カレーを食べられるらしい。
ゴールしたらぶどうジュースかワイン。
こんなに疲れているのに、ワインなんて飲めるかって話していた。
タイムリミットは本日の21時半と行っていたような気がする。
当日の様子は、何だか落ち着かなくて動き回るあゆみさんに対して、ふみさんはマイペース。
そんな構図を見ているのが面白かった。
挑戦すること
いつからしなくなってしまうのだろうか。
日々過ぎ去る日常の中に、疑問を持っているかいないかの違いではないだろうか?
何かに挑戦すること。
それはかなりのエネルギーを必要とする。
簡単にできることではない。
でも、少し自分にストレスをかけて何かしないと成長はないと思う。
何をしたいかは自分が決める。
何も思いつかないのであれば、感受性が下がっているのではないだろうか。
やりたいことを書いて、たくさん出てくる人もいれば、そうでない人もいる。
その違いは何?
普段から疑問を持てているかどうかではないか。
もしくは興味が湧くかどうかではないだろうか?
身体の学びは面白いので、飽きない。
でも、色々とやりたくないことをやってみると、意外とやりたかったことだったりする。
結果やってみないとわからない。
そんな姿を体現している夫婦はすごいと思う。
歩いて世界を旅する。
元を辿ればそんな活動をしていた夫婦。
色々と新しいことにチャレンジしている。
好奇心の塊みたいなところはあるが、色々ないい人に出会うことでそうなったのだろう、
年齢がと言い訳をしている人は、一度あゆみさんからの説教を受けた方がいい。
あゆみさんの説教講座。
これ需要ありそうだわ。
受講するだけで、今まで悩んでいたことがアホらしく感じてくるだろう。
話してみると面白いですよ。
まぁそのうちあるかもしれないし、ないかもしれない。
本当に出会えて感謝しております。
自分の感受性をたくさん破壊してくれました。
ありがとう。
そしてファイト。
いつから挑戦しなくなるのか
いつから挑戦をやめてしまうのだろう。
思考が成熟してくる時だろう。
自分というものから他人に意識がずれるときに起こるのではないか。
色々な比較が始まる時、それが始まるのかな。
知らんけど。
子供は無意識にそういうのをやっている。
できなくて悔しいってなって、何度もトライアンドエラーを繰り返して、成長する。
その時系列が大人になると大きくなりすぎる。
色々なものを見過ぎることで、それがおかしくなる。
小さなものに挑戦しようとして、小さな変化を喜べない。
痛みがあったら、痛みが取れても満足しない。
そこから色々と出てくる。
でも、最初の症状は変化していますよね?
その小さな変化に喜びを感じられない。
大きな改善をイメージしすぎる。
それもいいけど。
小さくしか変化できない。
小脳がそれを証明している。
その感受性もしっかり持ち合わせて生きていかないといけない。
大きな変化より、小さな変化を喜べる。
ベイビーステップの大事さ。
小さな変化で喜んで、自分を褒める。
そういう生き方の方が幸せではないか。
いつ変わるかわからない、何かに縛られるより大事な考えかも。
まとめ
大きな変化より、小さな変化を喜べる自分になろう。