明日は操体法入門
明日はヨガセラ で操体法入門という講座をします。
楽しみですねー。
大人数に講座をしたことないのでどうなることやら。
日本の日本人にあった、あの不思議な感覚を共有する。
その背景にあるものを少しでも理解してもらう。
想いとはなんなのか。
そもそも感覚がバグっている人へ、どうアプローチして行くのか。
間とか距離感。
色々やることある。
どんな展開になるのか楽しみです。
教えられることって意外とシンプルで、何かは残るはず。
何にヒットするかはその人次第。
今できることを精一杯やる
操体法を教えている人はたくさんいる。
いるのだと思う。
その中でも私から学びたいと思ってくれている人たちがきてくれる。
どんな人が来るのかも知らない。
でも自分のレベルに見合った参加者がいるのだろう。
やることはシンプル。
より丁寧に、丁寧に拘る。
自分の持ち味はできないを知っているところだと思う。
天才でもなんでもない。
わからないを少しわかるに変えてきたから、わからない人の気持ちがわかる。
明日私に出会った人たちは自分よりも上達できると思う。
自分が上達するために培ってきたものを、体系化して教えるから。
色々な手技を学んでもわかったような気になるけど、全然わかっていない。
そんなことにいつ気づけるようになるのか。
講座の場は、それを学びにきている人たちなのでその場はうまく行く。
でも実際に現場に戻るとうまくいかない。
こんなことはざら。
でも言われたことを愚直にやり続けられるかどうかだけだと思う。
一回でできた気になってはいけない。
何度も何度も復習して、トライアンドエラーをした先にしかその情景は見えないだろう。
やることって意外とシンプル。
やるしかない。
その原始感覚的なところに気づけるかどうかが大事かな。
準備の大切さ
今朝の谷田さんのブログを見て思った。
操体法と言っていることリンクしているなと。
谷田さんのブログはこちらをクリック
最高の準備をしてもそうはならない。
だって相手がそれを求めていなかったら、そうだよね。
自分の話したいことだけ話して終了。
誰がその人から学びたいねんって思うよね。
その場にいる人があるから講座が成立するのに、それを無視してては本末転倒。
でもやっぱり伝えたい本質は変わらず、現場にいる人に合わせて色々かえる。
そんなことできるのかしら。
場数が必要だし、やっぱり準備が大事だし、下地も大事。
8年前くらいに学んでいた操体法がいまとなって花開く。
面白い話です。
操体法の考え方が好き。
操体法に出会ってから生き方が変わった。
適当、好い加減がちょうどよい。
この言葉に救われた。
なんであんな真面目に生きていたのだろう。
誰と戦っていたのだろう。
そんなことに気づかされた。
いつも戻るべきは自分。
操体法ではそうといています。
若かりし頃はよく自分を見失い、自分を過大評価して、生きていた。
そんな時期があって今があるのです。
なんでも治してやろうと思っていた時期。
そんな時期はなんだか結果がついてきませんでした。
そんな人に施術されたくないよね。
今思えばそう。
そして自信なんてこれっぽっちもなかった。
いつも探り探りの施術。
結局戻るところは、学生時代に習った、可動域訓練、筋力訓練。
そんなんでよくなるわけがない。
色々行動した結果今がある。
施術なんて下の下。
60点取れればいいでしょう。
こんな言葉にも救われた。
なんでも治してやろうと思っている人と、60点取れればいいやくらいで施術して来る人。
ゆとりが違うよね。
60点に甘えることなく、色々磨き上げて行く必要はあると思う。
そんな話もできればなと思います。
まとめ
さぁ最後まで準備をしよう。